活動レポート

■2010年5月19日:RAF創立20周年記念講演会&懇親会 開催!

 5月19日、大田区異業種交流グループ「RAF」の創立20周年を記念して、記念講演会と懇親会が開催されました。講師には「世界一の砲丸」づくりで有名な(有)辻谷工業 代表取締役 辻谷政久氏をお迎えし、「匠の技」と「職人魂」を熱く語っていただきました。会場には辻谷氏がつくった砲丸も展示され、講演終了後、参加者は砲丸の感触や重さを確かめていました。続く懇親会ではおいしいお料理に舌鼓を打ち、異業種交流グループの会員企業も、口々に20周年を称え、和気あいあいの雰囲気のうちに散会となりました。 
日 時
2010年5月19日(水)18:20~20:00
場 所
大田区産業プラザPiO 4Fコンベンションホール
講演内容
「世界が認めた砲丸、私の職人人生」
講  師
有限会社辻谷工業 代表取締役 辻谷 政久氏
●記念講演概略
1988年のソウルオリンピックから公式採用され、1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネと3大会連続で、上位8位までの入賞者の全員が使っていた砲丸があります。この「世界一の砲丸」は、埼玉県富士見市の町工場・有限会社辻谷工業の代表取締役社長・辻谷政久氏の手によってつくられたものです。

辻谷氏があるスポーツメーカーに「砲丸を作ってほしい」と依頼されたのは昭和43(1968)年。手作業で加工を繰り返しましたが、製品の重さにばらつきがあり、大量の不良品ができることに悩んだといいます。
そこで鋳物会社に1年半通って砲丸の鋳造過程を研究。「球を削る音や金属のつや、感触などを感じながら、加工するようにしました」と辻谷氏は言います。その結果、類をみない重心の安定感や、投げやすさが評判の「世界の砲丸」が生まれました。

選手にとって砲丸の手触りと重心の位置は非常に重要です。世界レベルの選手なら、砲丸の選択によって飛距離に1-2mも差が出てくるとまでいわれています。辻谷工業の「匠の技」は、世界のアスリートに大きく影響を与えてきたわけです。

そんな優れた砲丸を作り続けてきた辻谷工業ですが、北京オリンピックにはあえて砲丸を提供しませんでした。2004年に中国で行われたAFCアジアカップでの観客のマナーへの不満がその理由です。そんな辻谷氏の心意気は、「たった一人の五輪ボイコット」として、当時、各メディアにも取り上げられました。
また、米国大手メーカーから高額な年間契約の技術指導料を提示されましたが、「日本の技術を流出させてはならない。またお世話になった鋳物業界や協力してくれた大学を裏切るわけにはいかない」という理由で断ったというエピソードに、辻谷氏の高邁な「職人魂」を見てとることができます。

砲丸づくりは五感の繊細さを求められる技術です。「寝る前にはいつも妻が使っているハンドクリームを塗っています」と、意外な裏話も最後に披露してくださいました。「体と機械が一体化するとき、いいものができるんです」という言葉が大変印象的でした。
RAF会長 岡内完治氏の挨拶
来賓挨拶 (財)大田区産業振興協会
専務理事 山田伸顯氏
記念講演会場風景
 
講師 (有)辻谷工業 代表取締役 辻谷政久氏
TES 奥山からの花束贈呈
五輪で使われた砲丸
 
 
RAF 鈴木正博氏の挨拶
懇親会